きっかけは、妻との何気ない車内での会話でした。
珍しく「運転」の話になりまして。
女代表(自称)の妻いわく、運転はどうしても好きになれないらしい。
男がスラスラ運転できる理由もよく分からないそうで、気づけば質問攻めの時間が始まりました。
■ 質問攻めタイム(妻)
「なんであの車が曲がるって分かったの?」
→ だいぶ前から「曲がるな」と思ってた
「なんで今、譲ったの?」
→ 流れを見てたら、ここだなって
「なんで車庫入れが一発なの?」
→ 惚れただろ
「なんでこの幅をこの速度で通れるの?」
→ なんとなく計算してるよ
こちらとしては、どれも“感覚でやっているだけ”なんですよね。
言語化はすごく難しいのですが、運転していると車が自分の身体の延長みたいに思えてくる。
ハンドルの重さやタイヤの振動が、自分の腕と足の感覚に変換されていく。
だから、「なぜできるのか」を説明しようとすると途端に困るわけです。だって、気づいたらできてるから。

で、理由に近いのが、こんな会話でした。
妻「運転する時ってどこ見てるの?」
私「遠く。最低でも2台前の車。その先も見るよ」
妻「え、無理。私は手前しか見えない」
なるほどなと。
科学的な根拠はゼロですが、
男は遠くを見て、女は近くを見る
という話を思い出しました。
昔は男が外で狩りをし、女は家で子を見ながら生活を守っていた。
遠くの変化に気づくのは男の生存本能、
半径3メートル以内の変化に敏感なのは女の生存本能。
(現代ではいろいろ解釈がありますが、話としては面白いなと。)
先日、日本でラリーが開催されましたが、女性のコドライバーも増えているとか。
遠くの“さらに先”を読みながら走る男の運転、
手元のノートを見て、瞬時に状況を判断する女性の感覚。
これって意外と相性いいのでは、と本気で思ったほどです。
■ そして、今回のドライブで感じたこと
男は遠くを見て、女は近くを見る。
見えている範囲が違うからこそ、同じ車に乗ると世界の見え方が二重になる。
自分は先の流れを読むし、妻は目の前の小さな変化に気づく。
どちらか一方では気づけない景色も、二人なら見える。
そんなことを改めて感じたドライブでした。
余談:女性と食事する際、女性を壁側に座らせて男は店内を見渡せない位置に座ると良いらしいですよ。反対だと男は店内をキョロキョロ見渡してしまい、その女性に興味ないと思われてしまうらしいです。

管理人のYujiです。
BMWのM2に乗っています。休日のサーキット、早朝の峠、深夜の首都高で走らせています。



